第4回「がん患者大集会」への決意
理事長 俵 萠子(NPO法人・がん患者大集会団体支援機構)
この数年、がんをとり巻く日本の環境は、大きく変化しています。
きっかけは“がん告知”でした。
それまで私たち日本人は、自分ががんではないかと疑いながら死んでゆきました。当然、がん患者としての生き方、意見、要望を持つということはあり得ませんでした。
いまは違います。
すべては変わりました。
“がん告知”を受ける。治療法は、患者の意思で決定する。そのためには、セカンドオピニオンをはじめ、あらゆる情報を、患者自身が入手できるように変えなくてはならない。それまで医療関係者しか入手できなかった情報を、私たち患者も入手できるようにしたい。
ということで始まったのが、私たちの会(NPO法人・がん患者団体支援機構)でした。
私たちは、NPOとして認可される前に、2回「がん患者大集会」を大阪と東京で開いています。その集会の成果の1つが国立がんセンターに設置された「がん対策情報センター」(2006年10月発足)です。同センターからは、すでにインターネットのがん情報と、冊子のがん情報が発信されました。私たち患者の大きな支えになっています。
一方で、多くのがん患者や患者会、がん対策に使命感を持つ政治家のお力で、「がん対策基本法」が出来ました。その法律に基づいて国の「がん対策推進基本計画」が出来、いまは、都道府県レベルの「がん対策推進計画」がほぼ出揃った段階です。
一方、私たち支援機構も、正式にNPOの認可を受け、第3回「がん患者大集会」を広島で開きました。2007年8月26日のことです。
その日も、私は、大集会の会場入口に立っていました。暑い日でした。北海道から、沖縄から、がん患者とその家族、応援してくださる市民の方々が約2千人。その中には、杖をつく人、車椅子の人、それを押す人々が大勢居ました。
私は、胸が苦しくなりました。
大集会を開いている私たち支援機構の人間もがん患者とその家族です。体もきついし、家計もきびしい。集まった人々も同じ。何とかして、もう少しいい条件で「大集会」を開くことは出来ないだろうか。
その時頭に浮かんだのが、国立がんセンターにあった「テレビ会議」の設備でした。
あの設備は、各地のがんセンターに繋がるすばらしい機械です。その設備を使って、全国の医師や看護師がいま懸命に最先端のがん医療を学んでいます。
あの設備が空いている時、私たち患者にも使わせてもらえないだろうか。そうすれば、私たちは、はるばる飛行機や新幹線に乗らなくても、最寄のがんセンターに行けばいい。テレビ会議で意見交換が出来る。
思い切って、厚労省と、国立がんセンターにお願いしてみました。
「いいですよ」
気持ちよく、そういってもらった時の私たちの喜び・・・。
こういういきさつで、テレビ会議で全国を繋ぐ史上初の試み、「第4回がん患者大集会」は実現することになりました。私たち患者のこころを理解して下さった厚労省、国立がんセンター、各地のがんセンターに感謝します。それと共に、だからこそ、みのり多い「大集会」にしなければならないという重い責任感を感じています。
“がん難民”なくすために地域から変えていこう! 〜第4回がん患者大集会の意義
第4回 がん患者大集会 実行委員長 中野 貞彦
がん患者大集会は、日本のがん医療政策に大きな影響を与えてきました。
2005年5月の大阪での第1回は、“情報は命です”という切実な要望ががん対策情報センター設立のきっかけになり、2006年3月東京での第2回大集会はちょうどその年6月に成立したがん対策基本法の審議と重なり、また2007年8月の広島での第3回大集会は、がん対策推進基本計画が閣議決定した直後であり、テーマに取り上げた緩和ケアは基本計画の3つの重点施策の第2にあげられ、時宜を得た大集会になりました。
第4回がん患者大集会は、都道府県がん対策推進計画が策定されて、実施に向けて動き始める初年度にあたります。第4回がん患者大集会が、全国のどの地域においても実質的に“がん難民”を無くしていくことに大いに貢献するものと確信をしています。
多くのかたがたのご後援、ご支援、ご協力をお願いいたします。
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